この子らを救わん 愛の「おぎゃー献金」物語
く第 3 章> 『おぎゃー献金』が呼んだ社会的反製 だったのです。 そもそもこの運動が産 の風は非常 に冷たいものでした。それ 体で面倒みようという 意識は殆 どなかったといってよいでし 障害児を抱えた家族が重い十字架 が現実だったのです 。 そのために刀折れ矢尽き、疲れ果てた も決して珍しくはなかった も、すでにご しかし世の多くの人が無関心であったその中に ある 人々がいなかったわけでは ありませ ん 。 そ うした、当時としてはまだまだ限られ 少数の人々 いで、社会全体つまり国が面倒を なくてはいけない」 声がぼつぼつ 出始めてい ました。 今から十七年ほど前の、昭和三十八年はそういう時代であっ れた『おぎゃー献金』、五体満足な丈夫な赤ちゃんを生んだその えようという互助の精神が 当時のマスコミの関心をひ たのでは ています 。 また、あとから考えてみますと、マスコミの側も、社会問題の一っとして重 大な関心を抱きはじめて た時期でもあったので ないかと思われる節がありま 93
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