この子らを救わん 愛の「おぎゃー献金」物語
◆ 地元鹿児島でのハプニング ついで四十三年六月、東京・九段会館で畠山みどり、ペギー葉山、大橋巨泉さんらの協力による 「 おぎゃ ー献 金一億円突破記念チャリティショー 」 が開かれるなど 、 数多くの善意の人々によって 、 この運動は温かく支えられ、四十七年末にはその献金総額は三億二千万円にも達しました。 話は少し前後しますが、四十二年度の第二回『お ぎ ゃー献金 』 の配分をめぐるハプニングも忘れる こと のできない思い出の―つです。 こ の年は大倉学園、まりも学園(いずれも北海道)、オレソジ学園(鹿児島)、みさかえ学園(長崎) に 、 それぞれ贈呈することになりました。この中で地元鹿児島のオレンジ学園(後になって三姉妹を 収容する施設)は、経営者の松下博士が当時医師会から離れていましたので、医師会に復帰入会をし てもらい、贈呈までこぎつけました。 ホッとしたのも束の間のこと 。 こんどは収容児への処理や取り扱いをめぐって、オレソジ学園に対 し批判が出て、新聞のトップ記事になったりしました 。 県民はもちろんのこと 、 全国的にもその反響 は大きく 、 特に医界からは「かかる学園に対し献金贈呈が行なわれたことは不当である 」 という非難 まで出ました。さらに非難の目は『おぎゃ ー 献金』を贈呈した「日母」の配分処理に向けられ、その ショックは甚大なものがありました 。 86
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