この子らを救わん 愛の「おぎゃー献金」物語

く第 2 卒> ともされた谷間の光 授、そして 「 日 母 」の名脊会員であ ・ 長谷川敏雄博士や 学の産科婦人科教授な 、 運動へ のご協力とご理解とをお願 、 当時、鹿児島医科大学産婦 あられた町野碩夫教授も、地 、 いろいろとおカ 添えをたまわりました。 これらの方々の側面的ご協力が 、大 きく功を奏したことは 、 もちろんいうまでもないことです。改 めてここで諸先生方にお礼を申し上げた このようにして「おぎゃー献金」の矢は、弦 く舞い 上がって行 きました。実施計 画の舞台は東京新宿区市ヶ谷の保健会館内の「日 の席に参加することになりまし 。当時、厚生省も非 協同推進の意向もあるやに承っ のですが 、 そのことは実現をみるに至りませんでした。いま振り返 ってみますと「日母」単独で実行に移したことが、今日の成 7

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