この子らを救わん 愛の「おぎゃー献金」物語

く第 2 序> ともされた谷間の光 この大口市におけ 0 数人というのは、 、 これに軽度、ある 程度の障害をもっ子を しかし現実には、その数 ら 不可能だったのです。実数 となるような調査、データす 今(昭和五十六年)ならこんなこ 。 役所の福祉課にいけば 、 重度何人、軽度何人 … .. . と具体的な数字がすぐ判明するはずで でも述べましたように家人が障害児(者) ることができませんでした。もちろんそうした つきです。 これはとりもなおさず、医学的にも 、 そして政治的にも障害児(者)の存在が取り上げられる がないためでした 。つま りそれだけ不幸な彼らは世間一般からも、行政 ・ 医学の領域からも除け者に され、 おざりにされていたということになります。 池田内閣が高度成長政策を掲げてスタートするとき 、 はじめて政策の一環として”福祉 I I という言 葉 ・ 文字が国民の前に披泄されたという事実は、襄を返せば、それまで政府 、 見るべき手を打って なかったということをさらけ出 たのだといえましょ これは政府や行政の責任だけでなく 、 突きつめてゆけば 、 私たち医師や 、 そして一般大衆に至るま 67

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