この子らを救わん 愛の「おぎゃー献金」物語

当時(昭和三十八年頃) 、 人口四万人の大口市に 、 重症の心身障害児が二 0 数人もいました。 三姉妹との接触をキッカケに、障害児問題に対して急激に関心の度を深めていった私が、三姉妹に 限らず広範囲に不幸な子どもたちを対象にした「重症心身障害児を幸せにする会」の結成までこぎつ けたことはすでにお話したとおりです。 そうした運動の中で、自分の住むこの町に一体どれくらいの重症心身障害児がいるのだろうか ? と調べてみて出てきた数字でした。「こんたにたくさんいるものか」というのがそのときの感想でし た。これは「せいぜい一 0 人くらいかな」という私の思惑をはるかにしのぐ驚くべき数でした。 単純に 、 四万人に対して二 0 人強、という比率からすると 、 少なくとも日本全国では一体どれほど の人数になるのでしょうか。かなりの人数に るのは決まっています。私は計算するのもためらいま した 。最重度 といってもよいような 三 姉妹に気をとられて、同じような境遇にある子ど もの多さがあ まり目に入らなかったといえるかもしれません。 ”四万人に二 0 人 1 1 の 驚異 から 6

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