この子らを救わん 愛の「おぎゃー献金」物語

してもらうべく決 意したのです。もし万一にも 、この交渉 が破綻したときは 、飛行 機で三人を島田療 育園に運び収容することに心の中で決めていましたので、その意気は、すさまじいものがありました。 県庁に出向く前に三姉妹に会い、飛行機で東京へ連れて行くことを話しましたら、その意味が通じ たのかどうかは不明でしたが、うれしさいっばいと う顔を見せてくれました。改めてその責任の重 大さに身震いする思いでした。 県庁と交渉の結果、よく理解していただき、早速二人の妹はオレンジ学園に収容することになりま したが、長女はすでに十九歳に達していましたので、障害児でなく障 害者 (満十八歳以上)であって 処理不可能との返事でした。 なり、 しかし今日にいたる間‘―つの箱の中に三人雛のように生きてきた三人から、一人引き抜くその無 情さを強固に主張し、無理に無理を押して、診断書を添えて福祉法による収容ということに決定して もらいました。おかげで長女も同時にオレンジ学園に収容され 、三人共 々に生活が続けられることに めでたく幕がおりることになりました。 すべては無理を承知のダメ押し、ゴリ押しの結果できたことでし 。当 時を振り返ると、自分でも 「よ くあそこまでやったものだ 」と思 うくらいですから 、 その私を見ていた周囲の人は「遠矢は気が ふれた?」とでも思っていたのではないでしょうか。そのときはただもう無我夢中 あり、お役人や 役所の冷 さや関心のなさを憤り、憤まんやる方なし、という日も過ご ました。しかしすべてがど 62

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