この子らを救わん 愛の「おぎゃー献金」物語

分なりにこの 一家のために動きまわってきたという自負があるので 、 かったのです。 し かし一転して批判者となった人々 、 そしてマスコミのホコ先は 、 彼女たち一家と深く関わってき た私に向けられました 。 Y さんを恨む余裕などなかったのです。 あると き はケソカ腰で役人とわたり合い 、 また無理解な人々を説得して歩いたことが「それみたこ とか I. 」という言葉で有形無形の圧力となり私を攻撃しはじめました 。 これまでの熱い世論の支持と は裏腹の 、 腹背に敵を迎 え ねばならない立場に立た され たのです。 支持という頼もしい力の結集が一転したとたん猛烈な批難攻撃 の力となるありさまを 、 私は肌身で 感じとらざるを得ませんでした 。 そしてもっと決定的なダメージを受けたのは三姉妹をもとに生まれ 出た『おぎ ゃー献金 』 それ自体にも攻撃の火の手があがったことです 。 三姉妹の父を憎む声が、とう とう三姉妹とそこから発展し 運動にまで拡大 てしま ったのです。ついに来るべきものが 来た、本 当にそんな気持でした 。 私はこのことに対し 『おぎゃ ー献金』は三姉妹の家庭 ではなく 、この不幸が加重された苦しい 家庭 の中に生 きて行かねばならな い三姉妹 そのものの 救済にあることを強 く主張 し、同時にこのよう t r 不 幸を理解するこ なく 、 その救済対策さえ施し得ない行政こそ 、 批難されるべきであることを強調し たのです 。 思そう し た気分になりかねな 60

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