この子らを救わん 愛の「おぎゃー献金」物語

この日 は特に鹿児島市伊敷にある国立整肢園の父兄会同志の応援参加をいただき 、 熱 心 な討議がく り広 げられたのです。このときのタイトルを「三姉妹」にしたのは 、私 が若いころ目を通したチェ ー ホフの三人姉妹 の萩華絢爛な生活と 、 あまりにもかけ離れた不幸な藉ら しにどうしようもない思いを 抱い たためです。 しかし 会の論争の中に 、「 盲人や聾匝者も障害児(者)ではないか 、 またこの三姉妹以外にも同 じような障害児 も いるはずだ」という意見があり、タイトルを三姉妹にし ぼるべきで はないという反 論が出されました。このため 、他 の多数の意 見とも合わせ て 、 名称を『重症心身障害児を幸せにする 会』と改めました。 こうして新しい会が発足し、昭和 三 十 八年九月三十日 、 まだ猛暑の去りやらない日に 、 大口福祉会 館で設立総会が開催されました。一般会員五三七人 、 特別会員六五人が参加しました。一市民の呼び かけに応えてこのように多数の会員が得られたことは、将来の本運動の展開を表徴するものと 、 大き な強い自信につながった次第です。 今日でこそ「……をする会」という ク イトルが一般に使用されていますが 、当 時は官庁スタイルの 「 00 後援会」というのがふつうでした。 私は、スク ー トに新鮮味を打ち出したい意味に加えて、肩のこらない名称にしたいとの気持からこ のタイトルに決めました 。こ の総会での決議文は次 のとお りです。 50

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