この子らを救わん 愛の「おぎゃー献金」物語
く第 1 n=> 天使の 「三姉妹」 童局長 (故黒木参議院議員 て 、 親しく 、懇切丁 寧に 、 この問題についての現 しかし、 当時はこれら障害児(者 ) の福祉対策は 、 障害者 ( 十 八歳以上 ) の職業指導が主体であっ たようです。このことに対し 、 初回の五百万円の予箕を獲得 意図する障害児の施設対策は皆無 、 その実態さえつかんでいませんで 憲法に定められた福 祉 の理念は絵に描いた餅に過ぎなかった 、 障害児の収容施設の 如きは、到底望むべくもないことを知りま 。 私は希望に燃えて訪れたときとは打って変 失望落胆してその場を辞しました。 私 の悩みはいよいよ深淵に突き落とされたのです 上で 明日からの対策を考えてみましたが 、 名案が浮かぶはずもありません。 しかしこのことは、憲法に定められた児童福祉法に照ら らその責 任 を負うことによって対策が 打ち出 されるべきものと考え 、帰 っ て から当市 の 小川久志福祉 事務所長と膝を交えて熱 心 な討議をくり返しました。福 祉 事務所長の断固たる決意と福 祉対策 への深 い理解は 、 市当局に対し一歩も譲らない強固なものがあり、私にとっては本当 我々がこのような不幸児 家庭と隣り合って住むこともめぐり合わせで 、 人々 の多くの援 助 を集めることによって救済の道を開くべきであることを痛感 しました 。そこで 昭和 三十八年七月 、 福祉事務所を中心に『大口市三姉妹を幸せにする会』を開催しました。 49
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