この子らを救わん 愛の「おぎゃー献金」物語

かつての三姉妹の父親の家のように裕福な家庭で あればどうにかなるのですが 、 そうでない厳し い 経済状態にある家庭では、必死に暮らしと闘ったあげく、ついに刀折れ矢尽きて一家で死出の旅に立 っという結末を迎えることは決して珍しいことではなかったのです。 、、、、、、、 まさに福祉のあけぼ のの時 代で あったといえます。 「福祉」とい う字がハッキリと国の政治の場に 顔を出すのは 、 このときの池田内閣からであり、所得倍増政策の中に 、 一本の大きな柱として樹立さ れたのです。また戦後の復興再建は、次代を背 負う児童の育成にあることに注目し、昭和二十二 年十 月に制定された児童福祉法は、次 のようにうた ています。 第一条すべての国民は、児童が心身とも健やかに生まれ、且 つ育成されるよう努力しなければ な らない。すべての児童は、ひとしくその生活を保障 され 、愛護 されなければならない。 第二条国及び地方自治体は、児童の保護者と もに 、児童を心身ともに、健 やかに育成する責 任 を負う。 もちろん、心身障害児もこの児童福祉法 基本法に包含されるべきものですから、戦前非人道的取 り扱いを受けていたこれらの障害児に対しては、この法は全く画期的なもので た 。 従って厚生省に 申し入れを行なえば、必ずや何らか 対策が指示、準備され 、 この不幸な三姉妹を直ちに収容し、そ して治療し、看護 する収容施設があるであろうと期待したことは 、 当然のことでありましょう。 昭和三十八年六月、当地区選出の I 代議士の紹介で、胸をふくらませて、厚生省を訪れ、当時の児 48

RkJQdWJsaXNoZXIy NDU4ODgz