この子らを救わん 愛の「おぎゃー献金」物語
このことがうまく実現して、照会を申し込んだ北九州の一家の経営している会社の社員に、三姉妹 の父親 が採用されるこ とに決まりました 。おかげで経済的苦労から 、解放される目途がたち、一応の 生活の安定 が約束され たので、周囲の我々もホッとしました 。 明け て昭和三 十九年一月九日、三姉妹の一家は父親 の運転する車で 、早朝、人目を忍ぶようにして 北九州 へ旅立つこ とになり ました。 当地は、南の国とはいえ鹿児島の北海道という呼び名の通り 、 寒冷がきびしく 、 特にこの朝は身も 凍るような冷え込みで、三姉妹を見送る私は心の底まで凍りつく思いでした。見送る人は、同じ長屋 の奥さんと私の二人で、彼ら一家族の将来が安らかで幸せにならんことを祈っての別離でした 。連 転 台でハソド ルを握っている肩幅の 広い父親、 この父親が 健康なか ぎり 、 三姉妹も 世 の荒波にもてあそ ばれることもあるまいとは思いなが も、一抹のさみしさはどうすることもできませんでした 。 北九州 の篤志家との 出合いに J ってお互いに苦しみをともにする相手を得 、 さらに 社 員として経済 的にも一応 安定し 、 自立できる目鼻がついたのですから、大いに祝福されるべきことといわなければ なりません。 しかし、 当然のことながらお互い人にはそれぞれ長所 、短所 があります。たとえ 同病相憐 れむ境遇 ました。 とです。そこ 、大口市の三姉妹の父母とぜひ面談 てみたいということになり、話は順調に進展し 4
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