この子らを救わん 愛の「おぎゃー献金」物語

ですから、人間集団の中で人の人格を区別したり、あるいは極端な例ですが、 べからず"ということはあってはならないことです 。 要は人と人と の愛によって乏しきを分かち合う精神こそ 、人 の社会の至上命令ではないで しょうか。 ここに福祉社会 の誕生があり、隣人愛が叫ばれるゆえんがあります。弱い人間が 、 歪よりも弱いホ モサピエンスが、考える力を出し合って、平和な浄土を築 く ために少しでも努力しようではありませ んか。今日、障害児のために養護教育が義務化されたことは、彼らを孤独から救済するためにあるべ 含姿です さらに一歩前進した重度の心身障害児も家庭内療育から解放し、もし収容療育か不可能な I I 働かざる者は食う われわれは、天文学的数字で示された多数の祖先を有し、同じ血筋のつながりと出合いと縁によっ て結ばれ、そしてこの世に生み出され、社会 の 中で人間としての歴史をきざんでいますが、それぞれ の生命は一回性 あって、かけがえのない生命であることを忘れてはなりません。ですから悦惚にな っても、重度の心身障 害であっても 、また植物人間 になり部分的な死が認められても 、その生命の尊 厳を否定することは断じてあ はならない です 。 生ぎる権利は厳然として存在するからです。 ヒト 大脳の神経細胞は一四 0 億と推定されています。体の一部の細胞は死んでも新しい細胞が生 まれ、機能しますが、服の細胞だけが再生がききません。しかし、それでも精神機能が保たれるのは、 スペアの神経細胞の代用の力によるものとされていま 。このようなことを考えますと、みかけ上の 健康な人と生理的廃 疾者との根本的差異は、五十歩百歩のように思われてなりません。 212

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