この子らを救わん 愛の「おぎゃー献金」物語
1 8 4 えからきた結果といえます。不幸な子を不幸なその家族にだけ押しつけておけば事足れり/.の風潮 が障害児を不幸のままに捨て置かせ、そして母親らに多大の犠牲を払わせることになっていたのです。 こうした、一般の家庭では想像もつかないような諸々の多大な負担に耐えかね「この子さえいなけ れば……」という気持が、たとえ瞬時であっても心をよぎるのは何人にも責められないことです。中 にはとうとう心労が極に達し、ついには我が子を自らの手で殺してしまったり、共に死出の旅 旅立 つ親子も きおり新聞紙上などでみかけます 報道の上では活字数行足らず、あるいはアナウソサーの二言、三言で片づいてしまう出来事に過ぎ ませんが、当事者がそこまで思いつめ追い込 れた過程を思うと、とても平然とは見過ごせないもの があります。 しかし、いかにどれほど重く、辛い事情があろうとも、死を選ぶようなことは絶対にすべきではあ りません。それは”敗北"を自ら認めることであると同時に"生"への冒潰にもつながる罪深いこと であるからです。どれほど重度の障害児であっても、「いっ んこの世に生まれ出た者には生きる権 利」が ります。この権利はいかなる法律をもってしても、またその最大の保護者たる母であっても 奪うことを許されないものです。 「おぎゃー」とこの世に生まれたその瞬間、その子には一個の 何人に 侵すことのでき い生き る権利が与えられるのです。我が子といっても、それはその人の持ち物を指す言葉ではありません。
RkJQdWJsaXNoZXIy NDU4ODgz