この子らを救わん 愛の「おぎゃー献金」物語

つまり、このことはせんじつめれば障害者に対して国がまだ本腰を入れてなく「救済を避けて通っ ていた」 ことを物語るものです。掛け声はかかったが、まだ実際に動き出すには至らなかったことが ”民間経営に委ねた二百床きり 11 に如実に表われているといえます 。 しかし、その後の展開は素晴らしいものでした 。建設の テンボは 急ピッチとなり 、十年 を経ずして 官民の各種収容施設が各地にぞくぞく と 設置されたからです。ただ厳しい眼で見つめるなら、それは 真に障害者を思う心から出た結果であったかどうか 、と なるといささかの疑問がないわ け ではありま せん。 とい うのも 、 当時 、し ばらく前まで亡国病といわれた結核患者が新薬の使用によって急激に減 少し、これ よって 空いた結核病棟が障害者にふり向けられ たという事実があるからです。 本来ならば結核病棟の流用という 1 1 合理主義 I I とは別に、新しい土地に新しいそのた めの専用施設 を建てて欲しかったのですが ……。 まあ、いずれにせよ 、 結果 として 障害者を収容するための施設が 、 政府のお声がかりでつくられはじめたと うことそれ自体は 、 それなりの評価を与え てしか るべきで しょ う。少なくとも、それ以前に無関心 、 おざなり……といった最悪の状態があったことを 思 えば確 かに格段の差ではあるのですか 。 そうして、施設という容れ物がだんだんできてくるに伴い 、 逆に困ったことも起きてきました。 「要員 の 不足」という予期せ ぬ伏兵に出合ったのです。脳性 麻痺で心身に障害 のある 人たち、特にそ れが重度ということになると、それだけ看護 当たる要員はペテラソであることを要求されます。そ 140

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