この子らを救わん 愛の「おぎゃー献金」物語
く第 3 章> 『おぎゃー献金』が呼んだ社会的反喝 で記念式典が開か 二 四の病院とその従業 が贈られる。 身障児を救う資金を集める ゃ んを生んだ母親と立ち合っ この献金 。 これが引き金となって、その後 。 無事お産をした喜 びを体 不自由な人の上にも広げて みしめてみたいもの。(中略) 発足当時は十円以上の献金呼びかけで 、 鹿児島県内では年間百万円程度だったが、 三百万円平均、一五年間の総額は約二千四百七 、 二月中には二千五百万 円を突破する見込みである 。 全国では年間約一僻円、昨年末現在で七億七千万円 こうした献金は全国の身障児施設に寄付され 、 恒久施設として 、 その福祉向上に役立っているとと もに 、 発生予防の研究費にも回されている 。 さらに現在では、身障の人たちを恒久的に救済するため の寄金を設立する準備もすすめられて る。鹿児島県への最近 、 五十 二 年に名瀬市の「愛の 浜園」、鹿児島市の 「 吉野学園」、伊集院町の「太陽の里」と鹿大産婦人科教室の I I 周産期死亡に関す る疫学的研究とその対策 I I の研究毀へ合計六百万円。通常一県一施設ですので、発祥の地としての 績が認められた のと関係者を喜ばせている。 『おぎゃ ー 献金』は水上勉 、 伴淳三郎氏らの「あゆみの箱」運動にも広がって話題になり 、 政府の 11
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