この子らを救わん 愛の「おぎゃー献金」物語
く第 3 立> 『おぎゃー献金』 が呼んだ社会的反馨 庭は、重い経済的 最近では政府もこれら 、 三年前には国立の重症 _ つ もないありさまだった。作 、心身 障害児 に対する施設をふやせといった 。 『おぎゃー献金 』 は、そのような社会状態の落とし 。 「健康な赤ちゃんに恵まれたお母 んは 、 その喜びを不幸な子らに少しでも分か 。 このアイデアは 、近 所の心身障害児の悲惨さを 目にした鹿児島県の産婦人科医が提唱し 、 これを日本母性保護医協会が取り上げるこ その後 、 日本助産婦会 、 全 国母子保健センター連合会も参加し 、 一段と広がってきた。 さる三十九年の第一回配分は、東京の島田療育園、 たほ か 、 日本母性保護医協会の妊娠分娩の障害児防止の研究など 。 四十一年度の 第三回配分は 、東北、中 国各ブロックに五百万円ずつ贈られ 、 愛知県春日井市に建設 中 の重症心身障 害児コロニ ー にも一千万円が寄付された 。 これは同コロニーヘ面会にくる家族のための宿舎の建設毀 に当てられるということである 。 しかし 考えてみると 、こ の献金事業が目 的 とする事柄は 、もと もと政府が取り組むべき性格のもの。 したがって献金運動の本旨としては献金額よりもこれをきっかけに不幸な子 、 さらに 。 政策の貧困 も目を向けていくお母さんがふえること 方がより重要だ える はないだろうか。
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