この子らを救わん 愛の「おぎゃー献金」物語
く第 3章> 『おぎゃー献金』が呼んだ社会的反響 丈夫 な赤ちゃんを 産んだ母親と、お産に立ち合った医師や 障害児の救済施設を建設しようという『おぎ ・ 雑司ヶ谷の東大付属病院 の小石川分院で産ぶ声を上げたのは 、ことし の七月一日。 この運動の推進役は 1 1 大口市の産婦人科医 I I 遠矢善栄医博 (58) 。近所に住む三人の脳性麻痺の家 庭を見て『三人の重症児を救う会』を結成した。同医博 生省の心身障害児対策の乏しいことを、再三の陳情で知った 仕事へのレジスタソスを・:・:』と、思いつい のが身近 ー 献金 』 。 この話をもって上京、日本母性保護医協会の総会で発表。全国運動 、 当時の 厚生省は、同 が音頭をとって発会式するはずの同協会が一足先に発会 ”おかんむり" 。協力を示した同厚相も 、 票かせぎの政治家の表面だけの真剣さだったと遠矢さんた ちを嘆かせた。七月以来、同県内での献金は、四 0 万円を超えた。某地区で街頭募金しているという ん で 、 (「西日本新聞」昭和 3 9 年 1 2 月 1 7 日 1 1 かごしま 6411) 『 おぎゃー献金 』 大口市の遠矢医師が推進役 おぎゃー献金は全 105
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